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私的工務店論・第2回「一期一会 2人の経営者との出会い」

新建ハウジング・プラスワン「私的工務店論・第2回」

 不況に目先の思考や行動を奪われるのではなく、「ある時代が終わり、またある時代が始まるのだ」と発想を転換することが必要だと思う。いつの時代も同様に、大きな景気変動がある度に、世の中の価値観が大きく変わったからだ。事実、この10年間でIT関連を中心にGoogleや楽天などの超優良企業も出現した。ピンチをチャンスに変えた典型的な成功事例である。
 不思議だと思われるかも知れないが、創業以来10年間、世の中の景気の良し悪しをほとんど感じたことがなかった。いや、感じる暇がなかったのかもしれない。
 脆弱な経営基盤で立ち上げた当時、卓越したビジネスモデルや潤沢な資金があったわけでもなく、文京区の丸ノ内線茗荷谷駅近くに借りた地下事務所には数ヶ月間仕事用のデスクも椅子も電話も無かった。30坪くらいの事務所に専務の岡本と2人で段ボール箱を並べて机の代わりに、電話は携帯電話のみ、FAXは近くのコンビニを利用していた。
 当社の軌跡を語る上でどうしても避けては通れない話がある。それは当社の生い立ちに遡る。独立を目指していた私は、70年の社歴をもつ材木問屋の子会社の工務店で修業していた。しかし、残念なことに私が勤めて約2年半で親会社があえなく倒産。だが、子会社の工務店は資本が分散されていたため、一命をとりとめた。共倒れは逸れたものの、親会社が所有していたビルの1階にオフィスを構えていたことから、自己破産の知らせを聞いた債権者が朝早くからビルの周辺に集まっており、通常通り営業を開始した私は直ぐに揉みくちゃの状態になった。

 うまくいっている時は、私のことなど見向きもしなかった輩が、物凄い形相でここぞとばかりに私に詰め寄り尋問する。中には私の胸ぐらをつかみ、罵倒を繰り返す者までいた。経営に携わっていたわけでもなく、すぐに会社を辞めることができたが、一緒に働いていた仲間を見捨てることができなかった。こんな事態の時は決まって身を潜めることが定番となる経営陣が戻るまでは職務を全うしようと誓っていた。
 間もなく自己破産の手続きが終息に向かい始めた頃、債権者の一社だった大手都銀の支店長から私に電話が入った。「あなたに興味を持っている企業オーナーがいるので引き合わせしたい。次の連絡を待つように。」という内容で、どこの誰とも教えて戴けなかった。
 後日、約束通り銀行の担当者から電話があり、面会のチャンスが到来した。どのような人物なのか、なぜ私を知っているのか。様々な思いが交錯する中、かねてからしたためていた「住宅創造会社事業計画書」を徹夜でA3用紙1枚にまとめ上げ、その日を待った。
 案内されたのは共和商事株式会社という建材流通業の会社だった。やがて剛毅朴訥(ごうきぼくとつ)な人物が現れた。
 「いろいろ大変だったね。」
 年商80億円、社員60名の組織を率いる渡辺社長がすべてを見透かしているように笑顔を浮かべながら声をかけてくれた。その後、気がつくと仕事上の共通の知人の話をしていた。そして私はおもむろに事業計画書を差し出し、名もない工務店の事業構想を語っていた・・。
 何度か渡辺社長と面談を繰り返しているうちに、株式会社参創ハウテックの外郭が出来上り、どこの馬の骨かわからない私に資本金3,000円の9割を出資して戴いた。

 忘れられない出会いがもうひとつある。
 創業時から仕事が取れるはずもなく、何とか食いつなぐために限られた棟数ではあるものの分譲住宅建設の下請けにも手を出した。その一方で何とかして注文住宅の仕事を受注する仕組みづくりの試行錯誤を繰り返していた時だった。
 同じ文京区でツーバイフォー注文住宅を専門に70棟/年の実績を挙げていたダイアモンドホームという住宅会社が倒産した。自社ビルなどの購入による資金繰り悪化と、蜜月の関係だった建材商社に梯子を外されてしまったのが理由だった。
 私は当初、競合相手が消滅することに自分の運の強さを感じた程度だったが、知人からの一本の電話で事態は一変した。「ダイアモンドホームが倒産したのはご存じですよね。仕掛り中の現場があって、その現場を何とか完成させなければいけないと、社長があなたに会いたいと言っているのですよ。」「こんな事態の時に社長が来るわけないですよね。」
 そう答えながらも、知人の熱心な勧めもあり、半信半疑で待ち合わせ場所に指定された現場へ出向いた。
 現場に到着すると、そこにヨレヨレの作業着姿の熟年紳士が待っていた。一瞬目を疑ったが、その御仁は紛れもなくダイアモンドホームの社長をしていたNさん本人だった。Nさんはとても穏やかに静かな声でおっしゃった。
 「いやぁ、お恥ずかしい話でこの有様です。こんな私を信じていただくことは無理ですよね。何もかも失くしてしまって・・・。」
 涙が溢れ出してきた。
 「Nさん、お手伝いできることがあったら何でも言って下さい。」
 熱いものが体の芯から込み上げてくる。工務店創業間もない出来事だったが、自分自身の覚悟が決まった瞬間でもあった。

 Nさんとのエピソードは数多くあるが、もうひとつを紹介したい。
 仮契約金としてお預かりした100万円を返却して欲しいと執拗に電話してくるという自営業の建て主さんを、Nさんは弊社の事務所に連れてきた。Nさんのロジックは、返せなくなった100万円を値引きして工事を完成するという提案だった。
 建て主さんは初めは冷静に聞いていたが、「ふざけるな!信用できるわけないだろう。」と、捨て台詞を残して席をたった。茫然自失するNさんを気にしながら、私はその建て主さんの後を追いかけた。
 「ちょっと待って下さい。あなたも経営者なら、Nさんがどのような思いでお願いしているのか考えることはできないのですか?」
 今考えるとよく言えたものだと赤面するが、翌日その建て主さんから連絡を頂戴し、参創ハウテック設計施工第一号の仕事になった。
 工務店を経営してわかったことだが、この業態は不思議なほど日刻み、時間刻みで様々な問題が勃発するものだ。感性的な悩みを抱えていては、問題解決するどころでは無く、どんどん深みに嵌ってしまう。私は工務店経営者として、知識や知恵を超えた胆識(たんしき)を恩人Nさんから深く教わった。

清水 康弘

 新建ハウジング・プラスワン「私的工務店論」 2009年3月号 新建新聞社

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